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目次
1・過去最悪のつぼ

2・お悩み解消。

3・克服、無料レポートの紹介

4・療法商材の紹介

5・比べてどちらがいいのか?グッズ

6・やらないと。痺れや麻痺。

7・私から痛みのあるあなたへのメッセージ

8・神経痛、腰痛に関する無料冊子のご案内



2010年03月14日

がんばれ 淳一君  大阪

府内の病院で、筋肉などにできるがん・横紋筋肉腫と闘っていた兵庫県伊丹市の金川淳一君(当時15歳)は04年12月、救命救急センターや重症室で長く過ごした後遺症とみられる「ICU症候群」に陥った。医療機器の電子音が常に響き、家族の面会も制限される環境を考慮し、医師らも、淳一君の好きなバスケットボールのビデオを流すなど気にかけていた矢先だった。

淳一君はすぐ個室に移ったが、しばらくは興奮して夜も眠らず「帰ろう、帰ろう」とベッドを下りた。「淳一を1人にさせない」。同年秋の入院以来、初めて付き添いの泊まりも許され、家族は交代で寄り添った。淳一君は普段、外では友逹に強がって見せる一方で、帰宅後にこっそり泣いたりするタイプだった。母富子さん(52)は、この時を振り返ると「淳一も、我慢がたまりにたまっていただろうな」と思う。

◇ ◇

落ち着きを取り戻し、年が明けてからは、通常の10倍近い抗がん剤を使った大量化学療法を取り入れることになった。医師は、淳一君の動揺に気を配り「がん」という表現は避けながらも、横紋筋肉腫という病名を伝え、病と向き合う「同志」として「薬を使い、頑張って治療しよう」と直接話し合った。薬の投与を控えた3月後半には、中学校の校長室で、卒業式に参加できなかった淳一君だけに特別な式典も開かれた。

心の支えを得ても、治療は予想を超える副作用を伴った。口の中から腸まで粘膜がただれ、水すら飲めずに下痢が続く。肌は黒ずみ、つめがはがれた。「何でおれだけ」「助けて」。淳一君が、治療に対して初めて弱音を吐いたのもこの時だった。トイレに行くだけでも、富子さんや姉亜由美さん(27)ら家族の手が欠かせない。闘病を通じて改めて確かめ合えた「結束」が、淳一君と家族を奮い立たせた。

幼いころからスポーツを続けていたおかげか、治療を経た淳一君の体内で、白血球の数値は驚異的な速さで正常値に戻った。5月には、自宅療養を中心にした生活が送れるまでになった。週1回の血液検査も良かった。ただ一つの心配は、淳一君が横紋筋肉腫の中でも再発率の高い種類だったこと。外に出て、バスケットボールを手にドリブルをするまでになった淳一君を見ると、不安は消せるようにも思えた。

だが、1カ月ほどすると、腰痛を訴え、血液データにも再び異常が認められるようになった。骨盤の周囲に転移していた。【青木絵美】

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元気をおくろう。

人に対してもっともっと何かできる事があるはず、そして自分自身まだやろうとしていない、あきらめている、へこたれている自分がないか問い直してみることも大事だと思いませんか?
posted by トミ at 11:02| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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